Sunday, February 18, 2007

引越し作業

を開始しました。
ので、ブログも引越すのでよろしく。


Ibaraki

べえと金ちゃんうどん

あと一週間なので、幾つかしておこうと思って、ものすごい行きにくい場所にあるSole Cafeというところにべえのライブを見に行った。
まだうまく説明できないけど、うたを「ききこむ」つもりにはほとんどならなくて、この人はどういう気持ちで自分の日々のどの部分を取り出してこういうスタイルで「うた」に仕立て上げてどのように他人に見せて聞かせようとしているんだろうか、とかをきくつもりにしかならないのだけど、これは僕が「歌」を聞かなくなったわけではない。全く予想が付かない手持ちの材料を持ってる人の「うた」を聞くときは、きく。
つまり、大変失礼ながら、手持ちの材料がどんなものかだいたい想像が付いてしまう。それが正しいかどうかはともかく、そんな気持ちにさせられてしまう(「なってしまう」じゃない。これは、聴き手の能力の問題じゃないと思う)のは、問題だと思う。

べえは一番目だったのだけど、なんか順々に若返っていったみたいだった(二番目の人と三番目の人の年齢差とかは知らない)。

で、そこではご飯を食べる感じではなかったので、帰り、一乗寺の金ちゃんうどんに寄ったのであった。
べえはギターケースに返された千円札に気付いてくれたろうか、と思いつつも、美味しかった。

提言:べえの次の芸名は「ともえいつ (Tomowaits)
こりゃあかっこいいや。
もっと押したら良かった。

男はつらいよ - 奮闘篇

男はつらいよ 奮闘篇
思うところあって見た。今TSUTAYAは半額だったし。
一時間くらいで泣きそうになった。まだ田中くにえが出てきたばっかなのだけど、ミヤコ蝶々が若い。
ラーメン80円の時代(昭和46年)らしい。
今だったら絶対に映画化できないようなヒロインが出てた。

やっぱしおおやみのるさんは練習に来なかったのであった。
明日から引越し準備。京都滞在一週間を切ったのであった。

Friday, February 16, 2007

Thompson, Emily. "Wiring the World"

Thompson, Emily. "Wiring the World: Acoustical Engineers and the Empire of Sound in the Motion Picture Industry, 1927-1930." Hearing Cultures Essays on Sound, Listening and Modernity. Ed. Veit Erlmann. Oxford: Berg, 2004: 191-209.
sound picturesの簡単な歴史

sound pictures伝播において(US内とUS外)sound engineersが果たした役割の簡単なスケッチ

テクノロジーが(人種的な)優越性、近代性の感覚をもたらしたこと等々
ある種の均質性、グローバリズムの推進に一役買った(sound filmは、第一次世界大戦後という時代的にも、ヨーロッパ映画ではなくハリウッド映画の世界制覇の一助となった)

言語の問題
サイレント・フィルム:パントマイムという国際的な言語を使用していた
サウンド・ピクチュア:「言語」を経由するので国家主義を後押しすることになった、各国映画が「盛ん」になった

実証主義的で、でも枠組みがしっかりしていて、幾つかの面白いトピックを掘り起こしてくれていて、面白い。
この人の論文には些少なデータがたくさん含まれるので、ちょっとしんどかったりするけど、とても歴史学者だなあ、と思うのであった。
sound pictureの発展史はthe soundscape of modernityの中のsurveyを簡潔にしたもの。Davisで聞いた話とは違って、sound pictureの中でもengineerが主役のお話。
sound pictureは新しいテクノロジーであるがゆえに近代性を表象するものとなり、帝国主義的な動きの一つとなったが、しかし同時に、「言語の問題」をもたらすものであったがゆえに、国家主義的な(多様な)映画をもたらすことになった、というお話。
と、一文でまとめてしまえる(気になる)のがこの人の論文の良いところ。
とりあえずは、僕の、sound pictureの発展史を理解するための教科書として使おう。映画学の文献に色々あるんだろうけど、この人のほうが、幅が広がる(僕は「映画学」に興味があるわけではないので)。

バトル・ロワイヤル

バトル・ロワイアル
英語の字幕がついているものをながらで見てたけど、面白かった。
藤原竜也という人は、舞台上の演技はものすごいできる人なんだろうなあ、と思った
こいつらが中学生ってのは無理があると思う。

Danger Mouse - The Grey Album

GREY ALBUM/DJ DANGER MOUSE (グレイアルバム) - 関心空間
DangerMouseSite.com | Danger Mouse
sasapong's room: The Grey Video
The Grey Album - Wikipedia, the free encyclopedia
Banned Music

久しぶりに、最近のアルバムだけど面白くてずっと真剣にきけた音楽。
Jay-Zを(その『The Black Album』も)知らないけど(Princeのブラック・アルバムではないらしい)、ビートルズの『White Album』は分かる。その二つをミックスしたアルバムで、EMIが販売差し止めしたものらしく、それなりに有名らしい。
plundeerphonicsだ。
「過去の音楽的遺産(語法、語彙、literature)」の再編集こそが面白い生産物となる状況というのは、ありきたりだけどスリリングな話で、でも、ここで参照される「過去」は、「全世界の過去」ではない、といういつもの不満も残る。これ、もう、いつもの不満でしかない。でもそういう意識がないものは退屈だ。

速水健郎『タイアップの歌謡史』

速水健郎『タイアップの歌謡史』
映画、ラジオ、(特定の企業や商品の)CM、テレビドラマ等々と提携して作られたポピュラー音楽の歴史、というか、データを、振り返った新書。
特定の企業や商品と提携して作られるポピュラー音楽の完全で網羅的なデータを提供してくれているわけではないし、「音楽外的な要因」との関係性の変遷を整理しているわけでもない。
全体の骨組みが弱くて考察が薄いけど、気軽に復習するにはいいなあ、と思ったけど、こういうテーマの別冊宝島とかがないかなあ、と思った。

読んでて気づいたのだけど、こういうJポップ景気の頃の話は、僕が10代の頃の話なので「懐かしい」のであった。だから最近面白いんだと思うけど、僕が関心があるのはJポップとワールド・ミュージックとの関係なので、あんまり深入りしすぎないように注意すること。

160GBのHDDから変な音が聞こえるのが増えてきたので、新しい外付HDD500GBを買ったのだけど(内蔵 + ケースじゃなく、外付HDDとして22000円くらいだったのでけっこう安かったはず。)、fastcopyを使ってもなかなかコピーが終わらない。

NTT Communications -iFAX-

NTT Communications -iFAX-
使い方が分からない。
午前を浪費してしまった。
むなしい。

Thursday, February 15, 2007

Kahn, Douglas. "Ether Ore: Mining Vibrations in American Modernist Music."

Kahn, Douglas. "Ether Ore: Mining Vibrations in American Modernist Music." Hearing Cultures Essays on Sound, Listening and Modernity. Ed. Veit Erlmann. Oxford: Berg, 2004: 107-130.
(この書き方であってると良いなあ。)
読むのが遅かったのはその存在を知ったのが秋だったからであった。初めてDougにメールした時、チベットの神学の勉強をしていると言ってて「もしやこの人は研究分野を変えてしまったのではなかろうか。」と思ったのだけど、このシンポジウムの準備をしていたらしい。
デーン・ルディア(Dane Rudhyar)(作曲家よりも占星術師として有名みたい。初耳。)という人の、チベット・ヒンドゥー教をappropriateした、エゾテリックな、ブラヴァツキー等の神智学的な音響世界観を、当時の時代背景の中に読み込んでいくという論文。
ルディア自身の言葉は20世紀初頭にMusical QuarterlyやMusic Timessにけっこうのせられたらしいのに、ルディア自身の言葉はほとんど引用されていない、という、たいへんDougらしい論文。たぶん数ヴァージョンを経て掲載された完成稿だと思うので、これは自覚してやってんだと思う。たぶんルディア自身の言葉は面白くないんだろうし、当時のコンテクストの幾つかをあぶりだすことが目的なんだろう(と思っとこう)。

なので、とりあえずは、当時のコンテクストとしてDougがあぶりだしていることをメモしとこう、となったのであった。

「19世紀末-20世紀初頭のオカルティズム(神智学、ブラヴァツキー、ヒンドゥー教等々)」
:それらを「西洋芸術音楽(不協和音が増大してきた協和音中心の音楽)」の基礎付けとして流用するレトリックの登場

「19世紀以降の音響学の発達とその浸透」
:「自然倍音という科学的事実」を「音楽における倍音システム」の基礎付けに使用する、というレトリックが登場

「後のアヴァンギャルド(分子の振動が、振動して音を発する世界を確保する、ケージの音響世界観)の先駆けとなるレトリックの抽出」
:「a sound and all sounds」のレトリックの抽出(そして、これが、オカルト的な「根源と絶対」のレトリックとの親和性が強い)


"... ethereal thinking was too well suited to a musical cosmos for musicians to let go of it." (Kahn. "Ether One: Mining Vibrations in American Modernist Music." 110)

中川:オカルト的な言説は「音楽的なコスモス」の言説とリンクさせやすいものだった。新ピタゴラス主義とか新プラトン主義の流行ってのもあるけど、オカルト的な言説が「音楽のコスモス」言説を賦活した、って側面もあるに違いない。

Flickr: Photos from katsushi1975

Flickr: Photos from katsushi1975
Flickrを使い始めた。
食後寝てしまったので眠れないし、へー、と思った。
アップローダー経由でPicasaから簡単に投稿できるのだから、編集後の画像を投稿できるようにして欲しい。できるんかな?

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"... ethereal thinking was too well suited to a musical cosmos for musicians to let go of it." (Kahn. "Ether One: Mining Vibrations in American Modernist Music." 110)

ether, ae・ther /____r/_n1 【化】 エーテル, 《特に》エチルエーテル (ethyl ether) 《溶媒・麻酔薬》.2 [the ~]a 《詩》 《雲のかなたの》天空, 青空; 《まれ》 空気.b 《古人が想像した》天空上層の空間(に満ちる精気[霊気]).c 【理】 エーテル《19 世紀に考えられた光・熱・電磁気の輻射現象の仮想的媒体》.3 《テレビ・ラジオの》放送電波; [the ~] 《口》 ラジオ.

ore1 /__r/_n 《金属・非金属の》鉱石; 《詩》 金属, 《特に》金(きん).・raw ore 原鉱.・a district rich in ores 鉱石の豊富な地方.[OE _r brass, OE _ra unwrought metal
Ore.Oregon.o

Wednesday, February 14, 2007

烏賀陽(うがや)弘道『Jポップとは何か―巨大化する音楽産業』 東京、岩波書店、2005年。

烏賀陽(うがや)弘道『Jポップとは何か』
ところどころ「手作業のほうが細やかな音楽が作ることができるという思考」とか「政治権力の癒着と腐敗を弾劾するスタンス」とかが見えるのは、なんだかなーと思わなくもなかった。でも勉強になるのでかなりメモした。

JポップのJに「Jのファンタジー」(日本が世界と肩を並べるようになった、というファンタジー)がこもっている、というのはキャッチーに分かり易くて良いなあ。
で、そういう見解を持って、1)技術のデジタル化 2)マスメディアの変化(テレビの影響=CMタイアップやドラマタイアップと、歌番組の影響) 3)消費文化の変化(「自己表現」の大衆化と渋谷文化の浸透) をまとめて、音楽市場としての日本を数字や統計を多用して描き出す、と。

勉強になるなあ。
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Jポップの登場と変化と衰退:80-90年代にかけて日本社会に訪れた社会背景・文化背景の変化を通じて解読
:技術革新(アナログからデジタル)
:新しいマスメディアの登場(インターネット)
:消費文化の転換(「モノから文化へ」)

1.Jのファンタジー
:「日本のポピュラー音楽世界に肩を並べるようになった」というファンタジー

2.デジタル化
→音楽再生環境の変化→「音楽の大衆化」
→音楽製作環境の変化→音楽制作の機械化、自動化→音楽の大量生産=消耗品、商品としての音楽、「個性(音の個性)の貧弱化」(60-64)

3.テレビがもたらした変化
1978年 CMタイアップソングの大ヒットと「ザ・ベストテン」の登場(とサザンオールスターズのデビュー)

「テレビ= ×聴覚メディア ○視聴覚メディア」
視聴覚メディアとしてのテレビが(ファーストハンド・メディアとして)ヒット曲生産に関係するようになった。


Jポップ時代の幕開け:Jポップ産業複合体の成立:「ポピュラー音楽産業」「広告代理店」「テレビ(マスメディア)」(93)

4.消費文化の転換
「モノから心へ」という消費性向の転換=「自己表現」の商品化
音楽による自己表現の商品化(カラオケ、バンドブーム)と、パルコ文化(渋谷文化)の全国への浸透


Jポップは「自己表現を実現するための商品」の一つとして存在、Jポップの内実は「渋谷系」だと理解された。

「自己愛ファンタジー」(154-)
:ナルシシズム消費(自己定義のための消費行為)の中にポピュラー音楽も入った。
:音楽産業は「消費者はどんなうたを歌う自分がすきなのか」を先回りして探り、そのようなうたを商品化しようとすることになった
:自己愛ファンタジーとしてのJのファンタジー:それさえも「外国と肩を並べた日本のポピュラー音楽を愛好する自分を好ましく感じる」「自分も外国と肩を並べたかのように感じる」という消費者の自己愛的な思考を先読みしたマーケティングの産物かも?

5.日本の音楽市場
世界第二位の音楽消費地
しかし極端な輸入超過型、国内市場依存型


メジャー系レコード会社の契約期間が短いことが多い(173-174)
市場の均質性が高い(言語・民族がほぼ共通、USでは細分化されている)、国内市場が大きい=国外で自国の音楽を売る動機がない(175-178)
「消費財としての音楽流通経路」はある、「公共財としての音楽流通経路」は未熟
価格の多様性がない(178-181)
FM局の数が少ない=公共財として音楽にアクセスする経路が少ない
等々

6.Jポップ産業の挫折、Jポップ景気の終了
1998年 オーディオレコード生産金額の最高記録6074億9400万円


6年連続で減少(三分の一以上減少)
2004年 3773億6900万円
(通信カラオケもドラマ・タイアップもなかった1988-89年の出荷額と同レベル)

07年02月11日21時00分-NHK教育(京都)-[S]N響アワー・音楽のある絵・絵のある音楽

これ「目新しい企画」なんだろうなあ。うさんくさい。「音楽」と「絵」の全て(でなければ「良質なもの」)が包含されていると思っているのではないか、と思ってしまう。

Paul Klee - Fuge in Rot (赤のフーガ)

パウル・クレーは、ヴァイオリン奏者として生計を立てていた。
synaesthesiaな人として勉強しておくこと。
これはバッハの遁走曲がモチーフらしい。僕は「バウハウスの時代にバッハ」ってのが不思議だったのだけど、そういいうことを語ってくれる人が少なかった(少ない)のは、世代の問題なのかもしれない。

Paul Klee and music

インプロヴィゼーション

『インプロヴィゼーション』
なんかたらたら寄せ集めた映像だった。
カウント・ベイシーが動いている姿を見れたら嬉しい、とかなら嬉しいかも。

Monday, February 12, 2007

ツィゴイネルワイゼン

『ツィゴイネルワイゼン』

サラ=サーテの原曲の意味は「ロマのメロディー」というものらしい(この場合の「ロマ」は「ジプシー」のことのはず)。
SP盤に録音された時に残ってしまった、その意味を聞き取れない「言葉」に触発された二人(大学教授の青地:藤田敏八と元同僚の友人中砂:原田芳雄)のお話。
中砂は、旅先で偶然であった芸者とそっくりな女性と結婚する、とか、青地の奥さんは中砂と不倫してたとか(病期で意識朦朧となってる奥さんの妹からそれを知る、とか、熟して腐りかけが一番美味しい、というテーゼ?が出てくる、とか)、中砂の奥さんは、芸者と比べられてこんにゃくをちぎることができるのを褒められたから甲斐甲斐しくこんにゃくをちぎってたのに、放浪癖のある中砂が旅先から持ち帰ったスペイン風邪(って何だ?)のせいで、子供を産んですぐに亡くなってしまう、とか。
個々のエピソードは怪談かな?盲いの三人組はどうなったんだろう。
あと、通常の映画文法(ショットの切り替えとかその程度のレベルの話)は踏襲しているので、ほんの時々、ぎこちないショットの連続があるのが目に付く。「人物が左から右に動き、ショットが変わって次の画面では正面から映し出される」といった場面で「人物が左から右に動く」ショットを「二つのショット(「人物が左から右に動く」と「人物が左から右に動く」)」で映し出す、とか。回想場面と現実の物語描写の場面がシームレスなショットで描かれていたり、心象風景と現実の物語描写の映像の区別がほとんどなかったり、とかは、映画の作法として面白いのだと思う。
とりあえず、これも暗かった(文字通り画面が)ので、見づらかった。で、物語内容が省略され過ぎているので、これも物語を追っていくのが大変。『アメリカの友人』はまだ分かり易かった。
ネットで検索すると色々なあらすじが出てくるのだけど、なぜ、この映画を見てそこまで分かるのか不思議。SP盤が重要なモチーフだから、蓄音機がある程度普及してから戦前までの話だ、ってのは分かるけど、これはSP盤がいつごろ流通していたか、を知らないと分からないのではないのだろうか?とりあえず、サブカル好きで、この映画の幾つかの仕掛けにぽーっとならないと、「今の学生(どころか「普通の学生」)」は見るわけがない、と思う。大正浪漫三部作とやらの一つらしく、「大学教授」というものはまばゆいばかりに偉い存在だったらしい。こういうファンタジーをそのまま受け入れるのはつらい。一昔前の幻想(記号としての「アングラ」とか「昭和」とか「教養」とかを支えたもの)を必要とする作品だ、と考えないと見てられないけど、そう考えると、これはこれで面白い。

「アカデミズムの中で窮屈に生きている(けど死んでるような)個人」と「豪放磊落な(死んでもなお生きてるような生命力あふれる男」との対比(どちらが良い悪いではないけど)の物語と考えると大変退屈な物語なので(これが「物語」がどうかはまた別の話だけど)、ここは一つ、「『文化』(何といえば良いのか思いつかない)と『野蛮』(何といえば良いのか思いつかない)の対比」をパロディもしくは物語装置の一つとして用いた物語だ、と考えたほうが面白いかもなあ、と思った。
アカデミズムの中に生きていく男がアカデミズムから逃げ出した男の自由奔放さにあこがれる(もしくは逃げ出した男がアカデミズムの中に残る男の何かに惹かれて親友として位置づける)云々の話ではなく(そういうのはクリシェにしか思えないし)、それは物語の設定の一つに過ぎず、これは、怪談だったんじゃないか?
とすると、個人的に興味深いのは、「ツィゴイネルワイゼンに録音された言葉」と二人の人間(もしくはその他の登場人物)の「人体の中の骨に対する執着」との関係、だけど、これは思考実験(というほど大層なもんでもないけど)にしかならない気もしてきた。

映像が(文字通りの意味で輝度が低くて暗かったけど)きれいでした。お風呂に入ろう。

Sunday, February 11, 2007

岡田暁生『西洋音楽史』

岡田暁生『西洋音楽史―「クラシック」の黄昏』
ものすごい新書だった。
「西洋音楽史」というよりも「『西洋音楽史』に関する本」。
でもメタ西洋音楽史ではなくて、「西洋音楽史」を理解するための本。
「西洋音楽史」の読み方が分からなかった人間(=僕)をフォローしてくれる本。何が分からなくて何がつまらないか分からなかった学部時代にこれを読んでればずいぶん変わったろうと思う。と、今さら言っても仕方ない。
自分が研究者として欠落しているものが色々見えてきて落ち込んでくる。教養主義の没落と人文学の没落は同じではないことを肝に銘じておこうと思うのであった。
これを「西洋音楽史に親しむこと自体が難しかった境遇」からのルサンチマンにすりかえないこと。

二十世紀後半の音楽史風景を「三つの道の併走」(221) - 前衛音楽、巨匠の名演、ポピュラー音楽 -として読む、というのは、最後の最後に少し出てくるだけだけど、なんとも励まされる興味深い話だと思う。今後の仕事のフォローをしていこうと思いました。

洗濯機

洗濯してたら(ほんとに)飛び跳ねてたので、さようなら。
これでシバヤマ君にもらった家具たちは全部どこかに行ってしまうことになるけど、悪意はないのでよろしく。
だって、置き方が悪いとか中に入れた洗濯物が偏っているとかじゃないので、僕にはこれ以上いかんともし難い。たぶん簡単に直るんだろうけど、だからといって今の状況ではそれは「処分する」以外に手段があるというわけではないのだ。
まあ、あと二回洗濯するか。

アメリカの友人

アメリカの友人
『太陽がいっぱい』の続編のようなもので、絵画の贋作物の原作を翻案したものらしく、ヴェンダースがアメリカにいくきっかけとなったヒット作らしく、登場人物は完全犯罪をもくらんでいたらしく、はじめ気づかなかったけど、アメリカの友人とは、あの贋作を作る画家ではなく、額縁作りの友人でカナダに行ってしまったやつのことでもなく、むしろデニス・ホッパーのことだったらしい。
「物語の筋」を追うのが大変だった(「物語の筋がない物語」ではなく、説明的描写がものすごく省略されてるから)(モニタで見ると暗い場面はなかなか見えないし)。サスペンスだったらしい。
これは「友人」の映画だったんだろか?無理なはじまり方をした友人関係は続かない、とか、教訓的な内容ではないと思う。
誰も幸せにならない映画だったけど、面白かった。最後のほうの場面の浜辺のデニス・ホッパーとか。
なんとも片付けようがないからけっこう長いこと頭の隅に留まってるか、それか忘れてしまうんだろなあ、と思いました。

Wednesday, February 07, 2007

Talking Heads - Stop Making Sense

Talking Heads - Stop Making Sense
みんなとびはねてるのがかっこよかった。