
「ワールド・ミュージック」をめぐる言説の中で扱われる際に特権的な地位を占める(議論において事象として象徴的に便利に重要、ということだと思う)ポール・サイモンの「グレイスランド」。
間違えて同じもの(リージョン違い)を買ってしまったのでヤフオクに出したところ、落札されなかったほうではないもの。ワールド・ツアー中の1987年のアフリカのジンバブエ公演の映像。一応リージョン2だけど英語字幕しかないので注意。
JPOPにおける「ワールド・ミュージック」受容について興味を持ったので、色々勉強しているのであった。論文書くつもりはなくて、手を抜いて休みたい時にする授業のネタにしようと思っているのであった。
輪島裕介「日本のワールド・ミュージック言説における文化ナショナリズム傾向」(『美学』52.4(2002): 70-83)を参考に、でも「ワールド・ミュージック」の輸入の後に「JPOP」という言葉が誕生したことの意味について何か考えよう、と思ってるので、何か意見があったら教えてくださいな。
まだJPOPという言葉とワールド・ミュージックという言葉について基本的事項を調べてるところ。なので、今さらフリッパーズ・ギターとかの資料を探してたりする。
基本的に面白い。良いアルバムなんだろうなあ、と思う(実はまだアルバムは聴いてない)。500万枚以上売れてグラミー賞を二年連続受賞したらしい(二年連続ってなんだ?)。
「ワールド・ミュージック」として見た時、消滅の語りも生成の語りも簡単に想像できるし、簡単に出てくるけど、「ローカル」の再定義、再編成の契機を含むものとして見るのは、「ローカル(とされるもの)なコミュニティ」に関する知識がないので、難しい。これは、何かをしっかり見ることは難しい、という話か?
「(感銘を受けた音楽の)異なる表現形式を使おうと思ったら、ただ聴いて真似するだけではダメだ。源へ行かねばならない。」と思ったので、ポール・サイモンはブラジルに行って『リズム・オブ・ザ・セインツ』を作ったらしい。
けっこう面白い。ヒュー・マサケラの短い歌詞の「Bring him back to home」とか、分かり易くて素敵だなあ、とも思うけど、こういう単純化した形で「政治的」な歌を歌う、というのはどういう気分なんだろう?と思った。
このDVDには訳詩しかなくて元の英詩がないのだけど、これでも何かの訳に立つのだろうか。歌詞ってのは、内容を知りたいんじゃなくて、「(その意味は分からなくても)なんといっているのか」知りたい対象ではないのか?
ちょっとメモ:
入場曲みたいなの(Township Jive)
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ポール・サイモンが三曲(the Boy in the bubble, Gumboot, Whispering bells)
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ヒュー・マサケラ(Hugh Masekela)が一曲(Bring him back home)
1960年に南アフリカを出てから亡命生活をしていた人でマンデラ釈放を歌ってトランペットを吹いてた。
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ポール・サイモンが二曲 (Crazy love vol.II, I know what I know)
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ミリアム・マケバ(Miriam Makeba)が二曲(Jinkel E Maweni, Soweto Blues; Jinkel E Maweniは英訳詩も日本語訳詩もなし)
「南アフリカの女王」と呼ばれるくらい有名な歌手だけど59年にワールド・ツアーに出て以来国外追放されているらしい。
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ポール・サイモンがステージに戻り、マケバとデュエットで(Under African skies)
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レディスミス・ブラック・マンバーゾ(Ladysmith Black Mambazo; 男性10人のアカペラグループ)(Unomathemba, Hello my baby; Unomathemba, Hello my babyは英訳詩も日本語訳詩もなし)
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ポール・サイモンとグループがなんとなく共演:ポール・サイモンとレディスミス・ブラック・マンバーゾが共作したもの(Homeless: ズールー語部分は英訳詩なし)
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ポール・サイモンが数曲(Graceland, You can call me Al)
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再びヒュー・マサケラ(Hugh Masekela)が一曲(Stimela)
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ポール・サイモンがレディスミス・ブラック・マンバーゾと一緒に(Diamonds on the soles of her shoes, )
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みんなでアフリカの国家(アフリカ民族会議ANCの賛歌)(N Kosi Sikeleli Africa)
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エンドクレジットのバック(King of kings)
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